この厄介なパーキンソン病の診断を受けてから早や7年目。ひたすら走り続けてきたような…。できなくなったことを数えないで!

病気との向き合い方

早いもので、数年間ドクターショッピングを続けてようやく「パーキンソン病」との診断がくだったのが7年前。悲しいけれど、これで自分を苦しめている“魔物”の正体が分かった…後は、その魔物とどう付き合っていくか?だな~なんて思っていました。

魔物の名前が分かったんですから。けれど、その時はこの魔物が、これ程手強い奴だとは思っていなかったのです。ただひとつ分かったことは、闘ってもムダだということ。いかに上手くよけるか!波が来た時に上手く身を伏せるか!パーキンソン病との“だまし合い”のような日々です。

こんな日々が一体いつまで続くのか?そんなことを考えていると気が滅入って、どうしようもないことが頭の中をグルグルと回るだけ。いつしか、私はゴソゴソと這いながら外へと歩み初めていました。精神的にポジティブなったといいうより、何かをしてみたい…いえ、何かをしていたい!そんな気持ちに突き動かされたのかもしれません。

久しぶりに、今私が周りの人に支えられてやっていることなど書いていきたいと思います。家族には『今日も元気だ!調子にのるな』という張り紙を貼っておくように言われています。

パーキンソン病にならなければ絶対にしていなかったこと!

私が物心ついてからというもの、嫌で嫌でしかたがなかったこと、それは『運動』。とにかく走る、跳ぶ、投げる…体を動かすことが嫌でした。というのは、単純に“ビリになるから”です。

悲しいかな、学校に入れば体育の授業だけは皆の前でやらなければいけません。算数や国語のテストのように隠せません。言い方は悪いですが“さらし者”です。体育をしなくても済むのなら、一日中算数でも良いとさえ思っていました。

ようやく体育の恐怖から解放されたのは、高校に入ってからくらいでしょうか?受験に重点が置かれ、スポーツはやりたい人がやれば良い!という感じになりました。成績表もペーパーテストがウエイトを占めるので、中学までとは比べものになりません。

それからというもの特にスポーツらしいスポーツはせずに暮らしてきました。ところがパーキンソン病になると“動かない=動けなくなる”。リハビリが始まりました。アレッ!?結構楽しいかも!とリハビリで思いっ切り身体を動かすことが楽しく思えてきたのです。

自分のペースで、少しキツメに身体を動かしたり、ストレッチしたり。歩行練習で理学療法士から姿勢の悪さを指摘されることすら楽しいのです。あんなに嫌だった運動をやってみようかな…なんて思い始めていました。

そんなとき、私が所属するパーキンソン病友の会のブロックの卓球サークルの活動の様子をブログ記事を書くため見学させていただけることになりました。

行ってみると、想像していたのとは全く違って本当に皆さん機敏なこと!振戦もなぜか卓球台に向かったとたんに止まる!!笑顔いっぱい、休憩時間もそこそこに卓球台に戻って行かれるのです。

見学も数回を数えた頃、卓球療法士との出会いもあり、いつも見学と取材の写真ばかり撮っている私にも“おやつ”を配ってくださって悪いなぁ!くらいの気持ちで私も会費を払いいつも間にやら“会員”になっていました。

そして、卓球療法士のお手伝い兼その様子を取材するうちに、その楽しさや自分にもできることがある!という喜びが芽生えていました。障害者でも「卓球療法士」の資格が取れることを聞き、まさに清水の舞台から飛び降りる(古い!)覚悟で講習の申込をしました。

ところが、一回目は薬合わせが上手くいっていない時期で9時~18時までの講習は断念。体調が戻ったところで受講させていただきました。若い健常者に混じり、足手まといになりながらの受講でしたが、本当に皆さんさりげなく補助してくださり感謝・感謝の一日でした。

それからは、マイラケットも購入し、月に2回くらいしかスケジュール的には無理ですが、いそいそと電車に乗って卓球場へと向かいます。まだまだ卓球自体もヘタクソ、療法士としても半人前どころか10分の1人前ですが、ピン球追いかけてます。

訪問リハビリも変わらず頑張ってます。身体が硬い私は、前屈と言っても“してるつもり”くらいしか曲がりませんでした。けれど、身体の硬さは怪我にも繋がりかねません!言担当理学療法士が根気よく頑張ってくれたおかげで、ようやく足に手が届くように!

とにかく卓球もリハビリも『継続は力なり』です。

パーキンソン病になって始めたこと!

『ブログ』ですね!落ち込む私に主人が薦めてくれました。最初は、無料サイトのライブドアで日記のような感じで始めたと思います。それが、徐々に情報発信のような形になっていきました。あくまでも自分のために調べ始めたことなのですが…。

このつたないブログでも読んでくださる方がいる!同じ病気で苦しんでいる人がいる!私だけじゃない!という気持ちで続けてこられました。感謝の一言です。

織物やチクチク裁縫なども病気にならなければ、“いつかはしてみたいこと”でおわっていたでしょう!

ここ1年半くらいで以前は“買う”だけだったフリマ(フリーマーケット)サイトに“出品”をするようになりました。最初は、身の回りの断捨離目的。段々と売れる面白さと、売れないのはなぜ?なんて考えているうちに、身の程知らずの「ハンドメイド」のお店にしてしまいました。

もちろんサイト上です!今、私の着物を洋服に仕立て直してくれたり、デザインが古くなったものをリメイクしたりしてくれている女性がいます。彼女とは、本当に偶然が重なって知り合ったのですが、長いお付き合いになっています。

私は、この“お店”をやっていくには彼女をパートナーにするしかないと、図々しいことを考えていました。そして、また図々しくも話しを持ちかけてみたのです。販売するもので縫製が必要な者は彼女に頼まなければ売り物にはなりません。※自分の図々しさに呆れます。

売上の何%を報酬で…ではなく、依頼した物の“工賃”を私に納品してくれた時点で渡してしまいます。ですから、その後はセールをしようが、たくさん買っていただいた方に宣伝としてプレゼントしようが私が判断できます。

ほんの一例ですが!
●第一号作品とも言える「博多帯をリメイクしたバッグ」。とにかく、制作費削減のため持ち手は“100均”!でも、さすが作り手が良いと様になってます。

私は?というと小物専門です。
●左は10cm角のタイルのコースター。右は2.5㎝角のマグネット。どちらもタイルに布や千代紙を貼り、色止めをシッカリした後にレジンでツヤを出します。

そして、今月末まで頑張ろうかな!と思っているのが「作り帯」です。

●今は、あのガチガチの作り帯は少なくなり、手結びしたような作り帯が主流です。元々、着物は好きだったのでトルソー(マネキン)まで購入しちゃいました。ただ、チョッと気持ち悪がられてます。

それから、猫カフェに置かせてもらうグッズは、もちろん猫だらけ!この猫の持ち手を見つけた時はラッキー!でした。

8月になったら秋物だね~!なんて、こんなことに引きずり込んだパートナーと話しています。何を作るか…あぁでもない、こうでもないで、半日が過ぎていきます。

まとめ

そういえば、自宅マンションの中も随分いじりました。主人も嫌な顔一つせず?手伝ってくれました。

確かに、パーキンソン病になって“できないこと”は増えました。数えたらキリがないくらい!普通に歩く。痛くない。字がスラスラ書ける…。こんなことって、パーキンソン病になる前は、できるとかできないとか意識すらしていませんでした。

けれど、できないことを数えてみても仕方がありません。治療法が見つかるまでジッとしているなら一生ジッとしていなければいいけないかもしれないんです。

よく言われますが、3時間しか眠れなかった、ではなく3時間は眠れた。駅まで歩くのが精いっぱい。駅までは自分で歩くことができた!と自分に言い聞かせながら“もがいて”“あがいて”暮らしています。ただ、その中で得たものは大きいような気がするのです。

こうやって書くとポジティブに暮らしているようですが、進行は怖いし、まだまだ病気とは向き合えてないし、忙しさに逃げているのです。

ただ、こんな病気になって落ち込む日々を何とか光を求めて歩き続けられるのは、支えてくれる人たちの存在。家族、学生時代の友人、ママ友…。

そして友の会の方たち、卓球の仲間、卓球療法士への道を拓いてくれた若き指導者、販売の力強いパートナー。とうてい一人では何もできなかったでしょう。ただただ、感謝です。

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