以前の記事で、パーキンソン病を受け入れることができたら…それは服薬を始めて6年近く(ドクターショッピングを含めると12年!)経った今でも『受け入れられているか?』と自分に質問してみたら、答えは“NO”でしょうね。
ただ『なっちゃったものは仕方がない!』くらいの気持ちには、なれたかもしれません。そして、同じ生きていくなら何か夢中になれるものを探してみようと思い始めるのですから…案外人間は“図太く”できているのかもしれませんね。
さて、私が一念発起して始めた『織物』ですが、どうなっているでしょう!?ここ2年近くは、通所リハビリから訪問リハビリに変え、健常者と一緒にヨガやストレッチ(受け入れ施設側とよく相談してください。どこも受け入れOKではありません。)を楽しんでいます。
そんなことを言われても、楽しみを見つける心境になどなれるはずがない!そうですよね。私もそう思ってました。今までだともう職場へ向かう電車に乗るため駅への道を走っていたはずなのに…今は、レギンスひとつ履くのに何分かかってるの?悲しくなるばかり。
何とか続けています!今年はシンプルに!
訪問リハビリや近頃は、友人と待ち合わせをしてお喋りしながらお茶の時間を楽しむことができるようになりました!なぜ、そんなことを?と思われる普通ですよね。
私が、パーキンソン友の会 兵庫支部に思い切って飛び込んだ時の私の姿…そんな私を引っ張り出し、今もいろんな情報をくださる恩人がいます。もし、その人に声をかけてもらっていなかったら…今の私はなかったと断言できます。
さて、今年も織物はマフラーに挑戦しました。この年齢になると“親”、“子”、“自らの老い”の三拍子の問題を抱えておられる方も多いのでは?ノンビリとマフラーなんぞ織っている場合ではないのかもしれませんが、編み物や織物、絵画など頭と手を両方使うのは良いのでは?でも一番嬉しいのは織り上がった時ですけどね。
【中細毛糸で男性用マフラーに挑戦】
今回使用したのは“中細”の毛糸。結構細いです。選んだのが11月になるかならないかの頃だったのでその時の気温で選んでしまったんですね。男性用は首の太さがごく普通の人で160~180㎝(縦糸掛けは+40~50㎝)。中細だと往復シャトルを通しても1mmチョッとかな?
ってことは、何段織らなきゃいけないの?160㎝は1,600mmだから…なんて言っててもおれませんからとりあえず頑張ります!寒くなる頃には完成させないと!
使うのはシルバーグレーとネイビーの2色です。千鳥格子がオーソドックスなので縦糸は、それぞれ2本ずつ交互にかけ、上下にキチンと別れているか、縦糸をかけ間違えたら最初から“やり直し”になることも。
①縦糸をかけ終わりました。
②縦糸の貼り終わりです。
③毛糸が細くて大変な分、模様がシッカリ出ます!
千鳥格子は同時に2本のシャトルで織っていきます。
④毛糸の汚れを落として、縮毛させます。
⑤完成!今度はもう少し、変化のある織り方をしたいのですが…。
※本当は秋用のコットンの糸を買っていたのですが、別のことに夢中になり織れずじまい。使用予定者(主人)から、そろそろ春バージョンにかかっておかないと間に合わないぞ!と釘をさされてます。パーキンソン病患者はONEシーズン前倒しでかからないと…!
チクチク裁縫も楽しい!優れもの手芸道具のおかげです。
パーキンソン病になるまで“裁縫”をしようと思ったり、身に付けるものを作ったりしようと思ったことがありませんでした。全く自慢になりませんけど…。でもやってみると結構楽しい。手芸店とか覘いたこともなかったんです。優れものがイッパイ(私のために?!)
私が仕事を辞めて、一番落ち込んでいた時に姫路で『タンタン』という男の子が主人公の海外のアニメの展示会が美術館(記憶が定かではないです。)でありました。引きこもり気味の私を引きずるように連れ出してくれたお礼に買ったTシャツ。さすが5年経つとヨレヨレ。
でも捨てがたく、キャラクターやロゴを活かした“巾着”と“ポーチ”を作りました。それを100均の透明のビニールトートに入れて、持ち手を変えると、チョッとグレードUP!その要領で「子供用のビニールトート」も作ってみました。
①キャラクターを切り取ってチクチク!
②使えるロゴもできるだけ使いました。取っ手はサスペンダー式!
※今はミシン要らずでシッカリと布を張り合わせたり、重い物を入れるバッグには無理ですがサスペンダー式の取っ手も揃っています。私のようなものでも、それらしきものができ上がります!
★子供用は、もっと楽チン!100均のビニールトートに、100均のトートを入れ、サスペンダー式の取っ手を付けました。チャームでお洒落に!※取っ手やチャームは100均ではありません。でも何とか様になってませんか?自画自賛です。
DIYも細々と続けてます!
築50年の誰も住まなくなってしまった主人の実家。取り壊す前に、中の物で子供の頃の思い出の品物などを取りに行きました。その時目についた床の間の小さな障子戸。
そんなの持って帰ってどうする?という声も聞こえぬふりで意気揚々と持ち帰りました。我が家はマンションで宅配業者さんが来られたときなど、廊下からリビングまでが丸見えです。私が欲しかったのは、重くなくて、季節によって変えられる「衝立(ついたて)」!これピッタリと思ったのですが…。
思った通りピッタリでした!端切れを簡単に貼って丁番で留めただけ!季節よっていくらでも張り替えられるし、移動も楽々です。
まとめ
痛みや進行に怯える日々、それでも生きてる自分。薬や手術の進歩に期待したり、絶望したり…。でも、もし生きながらえるならば、少しでも“錆びついていない自分”でありたいと思いつつ“自分磨き”を続けています。
人生100年の時代!今から始めて遅いものなんてないんじゃないかな?(生物学的に無理なことはありますが。)だって、100歳までなら大学に2回も行けるんですよ。ユックリユックリ進んで行きましょう!
コメント
こんにちは
パーキンソン病ヤール3と認定されて五年経ちます。昨年の12月から進行が進み今は一日にオンとオフが三回ずついや四回かな?オフの時間も長く合計すると13時間以上の日がほとんどです。特に両脚太ももふくらはぎの筋肉が張って痛みも有り、トイレには歩行器でやっと行きます。じっとしていられない気分が22時くらいから毎日有りデパス錠を服用しています。とにかく辛くて辛くてもう我慢の限界にきている気がします。薬の調整で昨年6月に入院しました。一時は楽になったのですが治療法により今の状態が少しでも良くなりますか?外出はほとんどなくその時は車椅子です。主人も私の様子を見ているので少しうつ状態かな?と感じることが有ります。パーキンソン病はこのように苦しみながら生活しなくてはならないのですか。私が療養所に入るという選択肢もありますか。セカンドオピニオンで他の医師に診てもらったほうがいいですか。
ごめんなさい。朝9時頃から13時半までオフが続いたので脈略もなくメールをしてしまいました。失礼をお許しください。66さい
ありがとうございます。失礼なんかじゃありません!今まさに私が同じ状態です。エフピー、アジレクトといったMAO-B阻害薬が合わず10日前に4錠飲んでいたエフピーを断薬しました。そろそろ身体からエフピーが抜け切ろうとしているのでしょうか、前からキツかった足の指の痛みが耐え難いものになってきました。エフピーの副作用と考えられるふらつき転倒は、マシになってきましたが“足の指を糸で強く縛られる”ような痛み、“切り傷がある”ような痛みを感じる時間が日増しに長くなってきました。今日は緩んできたのが、訪問リハビリが始まるチョッと前ですから午後4時。朝7時に1回目の薬を飲んでから半日が経過しようとしていました。介護用のスリッパも指にすれると痛くて履けない…。指が縮こまって力が入らない!泣きそうでした。これで、服薬6年目で何度目の波でしょう?波が来た時は、身を伏せて過ぎゆくのを待つしかないのですがツラいですよね。私もデパス飲んでます。体の痛みを取るために精神科で抗うつ剤を貰っていたのですがエフピーは全ての抗うつ剤と併用禁忌。頑張って断薬したのに…それも情けないです。ブログにもよく書いてますが、パーキンソン病は4大症状だけではありません。それ以外の方がツラいのです。iPSで騒いでますが、この病気の本当の姿を伝えるものはありません。先日、私も主人に世話をかけているので、どこか引き受けてくれる所はないか探してみようと思って相談しました。当然、反対はされましたが…。セカンドオピニオンは悪いことではないです。私は総合病院の融通の利かなさ、対応の悪さで転院をしています。脳神経内科の個人クリニックは、そう多くはなく良く見つかったものだと思っています。一度きりの人生です。できる限り、医師に相談し、それに応えてくれないようなくれないようなら、転院も視野に入れても良いと思います。痛みやツラさから、自分の思考や視野まで狭めてしまわないようにしなければ!と、あらためて感じました。波の時以外は、一人で電車に乗って出かけます。だから余計ツラくて、ツラくて。頂いたコメントにアドバイスするどころか、私の愚痴を聞かせてしまいました。ゴメンなさい。でも、あまりにも今の自分と重なり合ったので。諦めないで!私も諦めません!また、コメント待ってます。私も今週末診察なので、主治医にこの痛みなんとかならないのですか!と食い下がってみます。
お返事ありがとうございます。精神的にアップアップの状態でしたので、とても嬉しく励みになりました。
またメールさせていただきます。
私の方こそ!あまりにも偶然、自分が自分のブログにコメントしたのかと思いました。メール待ってます。