パーキンソン病はiPSで治る?神戸新聞創刊120周年記念 シンポジウムに参加してきました!

パーキンソンン病の治療の展望

前回の記事で、京都大学が2018年中にも、世界初の『iPS細胞』を使った医師主導によるパーキンソン病の臨床試験(治験)開始を発表したことで開かれた記者会見の内容について書きました。

確かに医療の進歩は日進月歩、研究者、その方々を支援してくださる方のおかげでパーキンソン病患者の私もこうやってパソコンの前にいられるわけですから。

今回、京都大学が「臨床研究」ではなく『治験』で実施するにあたっては“既に海外では胎児細胞移植”で効果が見えていたためとのことです。私たち患者も行きつ戻りつ時間を費やされるより”最短距離”で走り抜いて欲しいです!

『ES細胞』と『iPS細胞』!どちらが良いのかというより研究者方たちに“一歩ずつ”前に前に進んでいただくしかありません。いつも書いているようにパーキンソン病は手強いです!iPS細胞もES細胞も束になってかかっていかなければ立ち向かえないかもしれませんね!

今も足の指が痛くてイガイガのボールを足の下でコロコロしながら書いています。パーキンソン病は、同じ病気でも一人一人ツラい症状が違います。時々、パーキンソン病ってどんな感じ?みたいなことを聞かれることがあります。私の場合は「一日中、鉛の服を着ている感じ」でしょうか!

一日も早い、治療法の確立、体に負担の少ないデバイス療法、副作用の少ない新薬の開発が待ち遠しいですね!

 

「神戸から拓くiPS細胞の未来」山中教授の講演会!ドキドキです。

いつものごとく、パーキンソン友の会のメンバーが知らせてくれた医療講演会。いろいろと調べるのが好きなのに肝心なところが、私は抜けています。世の中って上手くできてるもので、そんなボンヤリした私をフォローしてくださる方が現れるのです!

今回の『神戸新聞創刊120周年記念』として神戸新聞情報文化懇話会・京都大学iPS細胞研究所 共催シンポジウムである『神戸から拓くiPS細胞の未来』が去る9月25日に神戸で行われることも、その救世主によって知らされました。

早速、参加申し込みをするためにパソコンの前に!ありました!!オーッ、何と講師は、あの山中伸弥教授ではありませんか。そして網膜疾患の副プロジェクトリーダーを務められた理化学研究所の真談大道子さん、そして難病の創薬研究に力を注ぐ池谷 真准教授!これは行きたくないわけがない※日本語が乱れてます。ただ、ひとつ気になることは“応募者多数の場合は抽選となります”の文字…。

750人が参加できるようですが、研究所に寄付などをしている人や関係者などが500人、私たち一般枠は250人のようです。子どもの頃から変な物には当たるのに(何故か私だけ鳥にフンを落とされた!↘↘)、これ絶対欲しいと思うものは当たった試しがありません。「また、ダメだよね~」と家族には作り笑いしながら神よ!仏よ!祈り続けること2週間余り。

HPには、9月初旬には抽選の当選者に“参加証”が届くとのこと。もう9月1日から心ここにあらず。我慢できずに1週目の週末に、参加証が届くとしたらいつ頃になるのでしょう?と問い合わせてしまいました。恥ずかしい。

名前を告げると返ってきた答えは「残念ながら落選です。凄い倍率だったもので」。ヤッパリと思いつつ、そうだ!主人の名前でも申し込んでいたはずなので再度問い合せ!あえなく撃沈。

ところが数分後、申し訳ありません当選です!名前の読み間違えでしたとわざわざ連絡をくださいました。私の名前の漢字は2通りの読み方があるのでしかたありませんよ!!だって当選なんですもん。放っておいても翌週には参加証が届くにも関わらず“連絡をしなければ”と係りの人が思うほど凹んだ声だったんでしょうね…恥ずかしいです。

会場は、神戸新聞松方ホール。待ちに待った「iPS細胞が開く新しい医学」と題した山中教授の講演が始まりました。持ち時間は1時間です。話し始めて5分と経たないうちに山中教授の聴く人を惹きつける、自分の想いを伝える強い意志と言葉にスッカリ、ドップリ浸かってしまいました。

どれだけの思い込めて研究を続けてきたか、これからはどうしたいのか(講演の中で“Vision”という単語で表現されます)を時に熱く、時に静かに語られました。教授は神戸大学の出身でお父様を輸血が原因の肝硬変で亡くされています。

その翌年にC型肝炎が発見され、2014年に“治る病気”になったのです。教授は、この時に医学研究の問題は『創薬に時間がかかり過ぎること』『コストがかかり過ぎること(当時、その薬は1錠55,00円で数か月服用)』だと思われたそうです。短期間で低コストの薬を創りたい!その思いが今も教授をつき動かしているのでしょうか?

 

アメリカ留学奈良先端科学技術大学院大学に助教授として就任!転機となる。

アメリカで学んだことで大切なもの…それは『Vision+Work Hard』だったそうです。研究者たるもの努力するのは当たり前。そこには“Vision”がないと大成しない。※Vision ビジョン:将来、自分がどうあるべきか?どうなっていたいか?というような感じでしょうか。

その後、1997年に帰国。1999年に37歳という若さで奈良先端科学技術大学院大学の遺伝子教育センター助教授として就任。今でこそ大学院大学という名前も違和感なく入ってきますが、当時は未知の世界だったようです。けれど生徒が入学してくれなければ成り立たない。

そこで役に立ったのが、アメリカで学んだ『Vision+Work Hard』だったそうです。その言葉で生徒たちの心を揺さぶり大変優秀な生徒が入学してきてくれたとのこと。山中教授は人の才能を見る目、惹きつける“力”も兼ね備えた方なのでしょう。

ちなみに肝心な教授のVisionとは『今、治せない病気を治したい!』だったそうです。そのビジョンを持ち続けられる人はどのくらいいるでしょうか?

続く

★このシンポジウムでの話をひとつの記事にまとめようと思っていたのですが、とても無理なようです。2日間に渡ってお伝えしたいと思います。

この文章は、講演の間に私がカバンの上にノートを置き、書き留められるだけ書き留めたものです。キチンとした文献やプロフィールからではないので違っている部分もあるかと思います。ご容赦ください。会場内で一心不乱にペンを走らせるパーキンソンおばさんでした。

次回、iPS細胞の名前の由来や理化学研究所の話などお伝えしたいと思います。

コメント

  1. 原田清美 より:

    こんにちは❗シンポジウムに行かれて、生の声を聞かれたなんて凄いです❗
    9月26日の神戸新聞を何気に読んでいて(いつもはしっかり読むことはないんですが)パッと目に留まったのが山中教授の写真でした。食い入るように記事を読んで、神戸てシンポジウムがあったことを知りました。
    講演会とは縁のない私なのですが、行きたかったなぁって思ったのが正直な気持ちでした。その内容を書いていただいて、今読みながら感動しています❗
    次回を楽しみにしています🎵
    毎日不安な気持ちで過ごしていますが、薬を切らさないようにしながら、仕事で出会う方とお話をさせてもらうひと時が、一瞬でも病気を忘れていられる貴重な時間になっているように思います。
    ただ、家族との関わり方を模索中で、近くに住んでいる主人の母は足が悪く、私が病院や買い物に連れていっていますが、心配をかけないように私の病気のことは言っていません。家族は知っていますが、私が何とかボチボチでも動いているので、あえて今までと変わらない対応でいます。
    でも、いつどんな状態になるかわからない不安があるので、わかってもらうことが今後の私の課題になりそうです。

    • 今、ストレッチ教室から帰ってきました。カチカチになった体がほぐれていきます。講演会は、山中教授の単なる話術ではない“ビジョン”が伝わってきて興味深かったです。ただ、3人の講演で2時間半、同じ姿勢でホールの椅子に座るために朝からの薬調整が大変でした。途中、当然トイレ休憩はあるのですが、一番端の席から詰まってしまい、私は3番目。皆さん足を引いて下さいますが、1時間以上固まった状態の私は、もし見ず知らずの人に腰掛けてしまったらどう申し開きを…と引きつった笑顔を作ったまま前の椅子の背もたれをシッカリと持ち、何とかトイレでチョッと足首回したりしてました。友の会から講演会の内容を発信してね!と言われていました。レジュメが作成してありますようにとの願いも空しく、必死でメモを取る羽目に!

      話しはコロッと変わりますが、本当に“大変なお年頃”です。私の母も1か月前にホームに入居しました。駅前という立地もあり費用の問題や、介護に対する兄弟間の考え方の違いが、ここへ来て一気に爆発!私の不調の原因もこの辺りにあるのかも。どんな難病になっても避けては通れませんね。2年前の父の時も病院からの呼び出しは、何故か夜中。動かない体でカートを押して行ってました。最後の数日間は、服着て寝てました。モタモタするんですよね!パーキンソンのバカ野郎~って怒鳴って飛んで行ってくれたら、いくらでも叫ぶのに…。

      • 原田清美 より:

        ありがとうございます❗今の現状を受け止める勇気を頂きました。誰もが通る道なんでしょうが、自分が難病ということで、自分だけが重たい荷物を背負っているような気分になる時があります。
        でも大変なお年頃なんですね(>__<)でも娘に80歳まで働けるって言われて、そうかなぁって嬉しそうでした(笑)主人が倒れたら…なんて考えてしまうこともありますが、今出来ることをやっていくしかないですよね。

  2. 原田清美 より:

    追伸でスミマセン。文章がなぜか飛んでしまってます。大変なお年頃の後、最近主人がボケてきたのか、会社で失敗続きらしく、もう無理❗って訴えたそうです。でも娘に80歳まで働けるって言われたんです。
    へんな文章になってしまって、ごめんなさいm(__)m

  3. 原田清美 より:

    何回もスミマセンm(__)m
    最初のコメントがかなり消えてしまっています。なぜかわからないので、申し訳ありませんm(__)m
    大変なお年頃の中、講演会に行ったり、情報を流してくださったり、ホントに感謝の気持ちでいっぱいです。
    主人の母がデイサービスには行かない、在宅サービスも受けたくないと言って、困ったら私に何回も電話がかかってくるので、これからは少しずつ主人にお願いしてみようと思っています。その主人が最近ボケてきてるみたいなんです(>_<)
    コメントをつなげられたらいいんですが、読みにくくなってしまってスミマセンm(__)m

    • 毎日がアッという間でしょうね!尊敬します。私たち夫婦も老々介護へまっしぐらです。なかなか最後までたどり着けません。アップしたら笑われそうなくらい話しが横道にそれてます。それだけ山中教授のお話しが面白かったということなのですが…。

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