第17回「パーキンソンデー国会請願集会」に所属ブロックから参加してきました!緊張!!!


数か月前までは「全国パーキンソン病友の会」から送られてきた“難病対策の充実を求める国会請願署名と且つ同時募金のご協力”という用紙をボンヤリと眺めていました。

パーキンソン病患者は約1,000人に1人。14万人以上とも言われています。高齢化社会がその人数に拍車をかけているのも防ぎようのないこと。全国パーキンソン病友の会が設立されたのが1976年ですから40年以上が経つのですね。総会員数は8,200名…もっと、友の会に入って欲しい!今は、そう思えるようになりました。

発症当時は、長年のドクターショッピングにも疲れ果て、やっと病名が分かって一旦はホッとしました。それも束の間で、次にやってきたのは“私は、どうなってしまうんだろう”という不安。本当に不安で不安でたまりませんでした。

ネットで、パーキンソン病のことを調べてばかり。私がなぜこんな目に遭うの?なぜこんなに不幸なの?病気のことを調べながら、悪いことばかり挙げて、病気から目を背けていました。

薬による副作用で身体が折れ曲がってしまった時期、投薬が始まって2年目くらいに「私は、このまま家に閉じこもっていたらダメになる」と思えるようになっていました。通所リハビリやライブドアでブログを始め、人と話すことで徐々に自分の事を客観的に観ることができるようになったもかもしれません。

今回2019年度が17回目を数える国会請願活動に参加して、感じたこと、あらためてこの病と今よりも過酷な条件で、闘い続けてきてくださった方々への想いなど書いていきたいと思います。
サイド上

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 パーキンソン病友の会とは?

全国パーキンソン病友の会の目的を読んで、胸が熱くなりました。結成は、1976年ですから今から43年前。結成を考え始めたのは、キッとその随分前からでしょう。

今でも、難病患者、障害者への偏見や間違った情報が多く時として愕然とするときもあります。45年くらい前であれば、難病患者が社団法人として“会を結成する”ということは、想像以上のイバラの道だったのではないでしょうか?

その目的とは「すべてのパーキンソン病患者が人間としての尊厳を侵されず、医学の進歩研究に寄与するとともに、療養生活の質の向上と社会啓発活動、相互の支援、親睦、および国内外の関係諸団体との交流を図り、パーキンソン病の根絶を目指す」こととなっています。

言い換えれば、当時は人間としての尊厳を時として侵され、療養生活もままならぬ例もあり、患者同士が親睦を図ることは困難であった…ということでしょうか。会を発足してくださった方々に心より感謝いたします。

友の会は、1976年に愛媛、神奈川、東京の3人のパーキンソン病患者の強い意志で発足されたそうです。簡単に連絡が取りあえる時代ではなかったでしょうから、難病に罹患しながら信念を貫いた3人の絆の強さが、今の私たちの活動の原点なのですね。

現在、各都道府県に支部があります。発足の目的を達成するために「友の会」が行なっている事業です。
①パーキンソン病の医療・研究体制の充実と専門医の多数養成への貢献

②患者の福祉向上と関係各法の充足
③パーキンソン病の社会的認識向上
④支部の設立と活動の支援
⑤共通の要求を持つ他団体との連携
⑥国外のパーキンソン病に関する諸団体との連携・交流
⑦機関誌の発行などです。

けれど、パーキンソン病患者であっても地元の「友の会」の存在を知らなかったり、歩行困難などで参加できなかったり、どうやって入会すれば良いのか分からないままだったりと様々な理由で入会されていない方が多いと思います。

また、若年性パーキンソン病患者の方は、仕事を続けておられたり、子育て中であったりと友の会が主催する医療講演会などにも参加ができない場合もあるでしょう。けれど、地域によっては、若年性パーキンソン患者の方が活発に活動されているようです。その場合は、活動時間や内容も年齢に合わせたものになっているはずです。

友の会に入って、私が最初心配していた“チョッと暗いイメージ”は初回の出席で吹き飛びました!私より動きにくい方々が、オロオロしている私に気を遣ってくださいました。

まずは、自分が通える範囲でパーキンソン病友の会があるかどうか、毎月通えなくても、入会すれば機関紙が送られてきますから、自分が参加したいと思うものだけでも足を運んでみてください。サークル参加だけでもOKのはず。同じ悩みを持つ者同士…というより笑顔であふれています!

もっと、パーキンソン病友の会、パーキンソン病の実情を発信していく必要があると思います。今回、国会請願活動に参加してみて実感しました。iPS細胞で病名だけが浮かび上がりましたが、病気の実態はほとんど報道されていません。“伝え続ける!”永遠の課題ではないでしょうか?

国会請願集会・活動とは?

請願の趣旨
パーキンソン病は、残念ながら現時点では根治治療どころか、進行を止めることもできません。今や300種類を大きく超える“指定難病”のひとつです。ここ数年の研究開発にはiPS細胞を利用した再生医療、創薬など“もしかしたら”と思ってしまう報道も多いですよね。

もしも『パーキンソン病が指定難病』から外されたら…!そんな事態を想像したことはあるでしょうか?パーキンソン病が難病でしょうか?と訊かれたら患者の殆どが「そうです」と答えると思います。

運動障害、自律神経障害、一番ツラいのは“進行性”であるということ。自分が歩きたいのに、足が床に貼りついたまま数分間動かない、動かしたくないのにクネクネと体が勝手に動く、鉛の服を着ているように身体が重いなどなど。

生きているのが苦しくなるほどの厄介な病気なのですが、指定難病から外されるかもしれない?!治療法も見つかっていないのになぜ?それは難病法による指定難病の要件のひとつ『希少性』。希少性とは、 患者数が本邦において一定の人数(人口の0.1%程度)*に達しないこと。

現在日本の人口は1億2600万人くらいでしょうか?確かにパーキンソン病患者数は14万人とも言われています。けれど、治療法がないまま指定難病から外され医療費が3割負担になればどうなるでしょう?

現在の薬を続けられる患者、DBSのような外科的手術を受けることができる人は一部の限られた患者になってしまいます。処方箋を見てください!我が家に限っていえば、到底払いきれるものではありません。

私たちパーキンソン病患者が苦しい病と向き合いつつ、少しでも安心して生活を送ることができるよう、各ブロックの代表が集めた請願書を紹介議員に手渡し厚生労働省に要望を伝えていただけるよう集会を持つ一連の活動です。

 行ってまいりました!国会請願集会。

 今回で第17回目となる「パーキンソンデー国会請願集会」に、“ひょんなこと”から参加させていただくことになりました。後になって振り返ってみると国会請願集会という重要な集会に、よくもまぁ参加します!だなんて言ったものだと苦笑いをしています。

2月に、今回の参加者3名と事務所の方と打ち合わせ。『東京に行って、請願書と提出してくるんでしょ!』という浅はかな考えが、全くの間違いであったことに初めて気づいた時には、既に後戻りはできない状態。

こうなったら行くしかない!幸いなことに、そんな間の抜けた参加者は、私だけ。所属ブロック国会請願集会への『軍団結成』です。

昨年とスケジュール的には同じ。まず、緊張したのが地元の衆議院議員・参議院議員のお一人ずつに請願書をお渡しする“紹介議員”になっていただけるか私から連絡を取らなければいけないとのこと!エッ!?いきなり事務所に電話して話しを取り次いでもらえるの?

でも、するしかない!ただでさえロレツが回りにくいのに、緊張すると余計に酷くなるんです。それでも何とか連絡が取れ、事務所の方々の多大なるご協力のおかげで衆議院議員の紹介議員、参議院議員の紹介議員共に決まりました。

そして、もうひとつ(これが、一番緊張したかも!)は、出発時刻が早いのです。最寄りの駅に午前6時45分集合!私にとって午前6時台は、まだ地球の重力に逆らえない“パーキンソン星人”。けれどその日は、何としてでも午前6時には地球人になっておかなければ…!要らぬところで決意を固める私でした。

為せば成る!前日から玄関に荷物を並べ、寝室に着ていく服を順番に吊るし、私たちパーキンソン病患者にとって一番大事な薬のチェックを済ませ、ついに東京行きの朝を迎えました。4時起きです!

タクシーを予約しておく予定だったのですが、もしタクシーが遅れては大変と主人が駅まで送ってくれました。家族の理解、協力にも感謝しつつ無事“地球人(半分くらい)”となって予定よりも1本早い在来線に乗り、新幹線への乗り換えはスムーズ!次の駅で3人合流し「請願集会軍団珍道中」のスタートです!

花冷えの中、まずは、第一関門の東京駅着⇒参議院会館へ移動⇒食事⇒11時30分からの受付に間に合わせる!はクリア。

早速写真を!と思ったら思いっ切り『禁止です』と警備の方に注意を受けました。そりゃそうですよね。セキュリティチェックも出入りの度に受けなければいけません。私たちは、薬を飲むために水分を携帯しているので尚更です。ペットボトルなどは別でチェック!噂通りの安くて美味しい議員食堂でアタフタと食事を済ませ、いざ「請願集会」へ。

代表理事の挨拶のあと、“患者の声”の時間で、地域差という言葉で表しては軽すぎるのですが、この厄介なPDに罹患した患者の間にも地域差はあるのだと実感!5時間しかONが無い…でも障害者手帳の申請が通らない?!

申請窓口では「でも、5時間動けるんですよね?!」って言われたそうです。“家族にも言えない”、“子どもの縁談が破談になるのでは?”、“告白したら、知り合いがマスクをつけた”など???となるものもあるのですが、それが現実です。

まだまだ世間の認識はその程度なのです。また、病院の数にもよるのでしょうか?2ヶ月に一度の診察が3分。1年に18分で患者の何が分かるのでしょう?という訴えにも胸が詰まる思いでした。

本当に、良い勉強、経験になりました。と、同時に自分の知識の浅かったことに愕然としました。

早朝からかなりのパワーを使ってしまいましたが、本番はここからなのです。1時間で参議院会館と衆議院第1議員会館に請願書を持参しなくてはいけません。館内の広さを把握していなかった私たちは右往左往…。議員室に行くには新たに許可証を書き、面会申込書に記入、受付から連絡してもらわなければダメなんです。

それだけでも随分手間取り、お一人目の参議院議員に直接請願書を手渡し、写真を撮った時には40分以上が経過!お2人目には2時までには受付から私たちが来ていることを伝えてもわわねば!

衆議院会館が「万里の長城」のように遥か彼方に感じられました。何とか2時ギリギリに辿り着き、秘書の方に手渡すことができた時にはヘロヘロ。議員室内以外は撮影禁止なのですがプレートだけでも!と秘書の方にお願いして撮らせていただきました。

その後、参議院議員会館の講堂へと再び万里の長城を駆け戻り(のつもり)「厚労省要請行動」が始まりました。少し残念だったのは、この時参加人数が多く、聴く側が全員前を向いて着座しているため、後ろの方だと質問している内容が聴きとりにくくメモがほとんど取れませんでした。

この要請行動で聴いたのか記憶が定かではないのですが「一人の難病患者を助けることは10人の周りの人を助ける」と走り書きのメモをしていました。よほど心に響いたのでしょう。

午後6時からの「パーキンソンデー交流会」も終了し、午後8時半頃ホテルに到着。自宅出発から14時間、私たちの長いような、短いような一日が終わりました。

まとめ

今回この国会請願活動に参加しなければ、私たちの前に16回の集会があったことも知り得ませんでした。第一回目の集会実現の苦労は、私の想像の及ぶところではないと思います。移動手段も限られてきます。必ず補助が必要だったでしょう。

今は、駅にエレベーターも設置され、駅員さんの補助も受けることができます。タクシーも近くでも障害者手帳を見せればイヤミを言われることは激減しました。また車高の高いタクシーが増えたこともありがたいです。

誰かが動いてくれているから、誰かが考えてくれたから、私たちの今があるのだと先人の皆様にただただ頭(こうべ)を下げることしかできませんでした。

コメント

  1. 匿名 より:

    はじめまして。
    今年1月にパーキンソン病と診断を受けた49才の女性です。
    この病気を宿命だと受け入れてはいますが、どの様な事がこれから起きるのか?などやはり、不安な事が多く、ブログを拝見でき、とても心強いです。ありがとうございます。
    これからも楽しみに拝見させて頂きます。

    • コメントありがとうございます。数あるブログの中で目にとめていただき、本当にありがたいです。私が体調を崩してから12年、今年還暦を迎えます。今も不安は消えません。増すばかりかもしれません。けれど、あなたが今もし信頼できる主治医に恵まれているとしたら、2人3脚でシッカリお薬を合わせていってください。最近いろんなことに手を出し過ぎブログの更新ができていませんが、コメントの返信をさせていただくのが私の楽しみでもあり、励みです。また、コメントお待ちしております。